2008年10月04日

40:夢幻の狭間

背中に感じる、柔らかい地面の感触。
耳を澄ますと小鳥のさえずりや動物の鳴き声が聞こえる。
心地良く頬を撫でる風に乗って、草花の香りが漂う。

”・・・ラファエル・・・”

誰かが俺の名を呼ぶ。
もう少しこの風を感じながら軽い浮遊感を味わっていたい。

”ラファエル・・・”

繰り返し呼ばれる。
瞼はまだ重かったが、うっすらと目を開ける。

いつからここにいるのだろう。
どこかで見たことがあるようで懐かしい感覚もあるけど、それでいて初めて見る美しい風景。
ここはどこの森だろうか。

”ラファエル”

声のする方へ顔を向ける。
あぁ、そうだったな。
彼女の大好きな森だ。
自然の中で育った彼女は、木々のざわめきの聞こえる森が落ち着くと、よく言っていた。
寝転がる俺の隣に座る彼女は、春の木漏れ日のような柔らかい笑顔を向けてくれる。
二人で旅をして、よく森の中でこうやって静かな時間を過ごした。
君はいつも、俺に安らぎを与えてくれた。

『・・・フェリジア・・・。』

俺にとって、この世で一番大切な者の名を呼んだ。
俺の顔を覗き込む彼女の笑顔が、陽射しを浴びて一層に眩しく思えた。
彼女は可笑しそうに、くすくすと小さく笑う。

”やっと起きたの?”

いつの間にか眠っていたのか。
こんなに安らぐ時間は久しぶりだ。
もう一度この空間を味わいたくなり、俺は起き上がらずに再度目を閉じる。
でも、途端に言い表せないほどの恐怖感と不安感が押し寄せてくる。
思わず渋面になり、夢に落ちることを本能的に拒んだ。

”どうかしたの?”

彼女が俺の表情に気付いたのか、不思議そうに尋ねてきた。

『・・・夢を、見たんだ。』

とても辛く、苦しく、悲しい夢。

”どんな夢?”

彼女が夢の内容を尋ねてくる。
あまり思い出したくないものだ。

『・・・君が、いなくなる夢だ。』

ゆっくりと起き上がり隣に座る彼女を見る。
叡智を宿す瞳は深く、吸い込まれそうになる。
いつもは表情豊かな彼女が、今は上位種としての神々しさを纏って俺の言葉を聞いている。

『君が、魔物に身体と心を取り込まれ・・・いや、飲み込まれるんだ。』

そうだ。
とても恐ろしい、夢。
彼女はじっと俺の話に耳を傾けている。

『俺は必死に助けようとした。でも、どうにもならないんだ。君を助けたくて、取り戻したくて・・・また、同じ道を歩きたくて・・・。』

辛い。
苦しい。
ひとつひとつ思い出すたびに胸の奥が鈍く痛む。
知らず、俺は俯き拳を握りしめていた。
悲しくて。
悔しくて。

”・・・それで、どうしたの?”

彼女が優しく囁く。

『・・・俺は、決意したんだ。一番選択したくない最悪の方法を、選んだ。・・・君との、約束を果たすために。この、十字の誓いに懸けて。』

胸に手を当てる。
そこには、二人で誓い合った十字架の聖痕が刻まれている。
命と魂を互いに捧げ、自分の最期は、相手の手によってのみ成されたいという願いを込めて。
でも、こんな選択をしたくはなかった。
永遠に近い時間を共に過ごしたかった。
ずっと君と、並んで歩いていきたかった。
それなのに・・・。

”・・・それで、あなたはちゃんと約束を果たしてくれたの・・・?”

静かに、彼女が俺に問う。
そうだ。
あの悪夢の続きはどうなった。
思い出そうとすると、いいようもない恐怖感に襲われる。
思い出すことを拒むように、背筋に悪寒が走り、吐き気すら催す。
俺は、約束を果たそうとした。
君への想いを証明するために。
それなのに、俺が最後に選択した行動は・・・。

『・・・いや、果たしていない・・・。果たせなかった・・・。君の姿が汚されるのを見たくなかった。だからこそ約束を果たそうとした。・・・でも。』

悪夢の続きが急激に浮上してくる。
それはあまりにも鮮明に繰り返し頭の中で再生される。
目を閉じても消えることがない。
直視することすら恐ろしい、悪夢。

『俺は約束を果たせなかった。そして、これ以上君の姿が汚されるのが辛くて・・・俺は、自らの死を、選んだんだ。』

顔を上げ、彼女を見る。
俺は今、どんな表情をしているだろうか。
きっと、子供のような、今にも泣き出しそうな表情をしているに違いない。
彼女は、そんな俺をまるで聖母のような笑顔で優しく見守ってくれている。

『君のいない世界なら、これ以上生きていく意味もないだろう、と。』

俺は、泣いていた。
いつの間にか溢れる涙を止めることができない。
俺は、君を助けることができなかった。
今、胸の中に渦巻く感情が複雑すぎてとても言葉にできない。
言葉が出ない。
代わりに漏れるのは、自分の意識とは裏腹に溢れる嗚咽。
両手で頭を抱え、後悔の念に押し潰されそうになる。
俺は、無力だ。
何もできなかった。
こんな俺など、消えてしまえばいい。
命も、存在すらも、その全てを。
深く暗い、真っ黒に染まる感情に飲み込まれていくのがわかる。

『あ・・・、あぁ!うああ!!』

嗚咽が悲鳴へ、そして絶叫へと変わっていく。
そうだ。
俺など、無力な俺など、いなくなればいい!


俺が、全てを放棄しようとした瞬間だった。
それまで静かに見守っていてくれた彼女が、小さくひとつ溜め息をつき、そっと俺を抱きしめてくれた。
優しく、まるで母親のように包み込んでくれる。

”ありがとう、ラファエル・・・”

耳元で囁かれる彼女の声。
その温もりを感じながら、少しずつ落ち着きが戻ってくる。

”どうかそんなに苦しまないで。貴方の想いは充分に伝わっている。
だから、貴方は生きて。”

まるで子守唄のように紡がれる彼女の声は、とても心地良い。
先刻までの黒い感情が嘘のように心が静まりかえる。

”私は貴方と共に歩いてきた時間にとても満足している。だから貴方のこともよくわかる。自らの死を選ぶ貴方の気持ちも。でもお願い、どうか貴方は生きて。”

静かに祈るような言葉に、俺はいつしか目を閉じ、彼女に心を委ねる。
まるで深い眠りに誘われるように、彼女の声が遠のいていく。

”大丈夫、私は貴方の中にちゃんと居るから。貴方なら大丈夫。私の分まで生きて。”

待ってくれ。
まだ話したいことがある。
伝えたいことがある。
意識すら遠のき、彼女の声がどこから聞こえてくるのかもわからなくなる。

”・・・さぁ、もう少し頑張って。貴方のことを待っている人達がいるでしょう?”

子供に諭すような、優しい声が俺を温かく包み込む。
あぁ、そうだ。
森で出会った、優しく勇敢なヒューマンと、相棒が待っている。
そうか。
俺は、あの悪夢と戦わなければならない。
そしてその悪夢を終わらせなければならない。
それこそが、今の俺の生きる意味なのだろう。

”見守っているから。きっとその悪夢に打ち勝つと信じているから。・・・少しだけ、私の勇気を分けてあげる。”

あぁ、わかったよ。

君のその心に、応えよう。

俺の全霊を込めて。

悪夢を、打ち破ってやる。

約束しよう。

俺の魂の全てを賭けて。

ありがとう、フェリジア・・・。




意識が途切れ、彼女の声が聞こえなくなる。

でも、最後に、
彼女の眩しい笑顔が、見えた気がした。

posted by ラストエフ at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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